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しまもと町民の会

道徳の教科化について(2017/7/3号)

梅雨真っ盛り。島本町民のみなさん、いかがお過ごしでしょうか。

まぁ、例年に比べて空梅雨というか、本格的な雨はやっとこれから、という感がありますが、こんなジメジメしたときには、読書くらいしかできませんね。

ということで、島本町教育センターへ。
なぜ図書館ではなく、教育センターかというと、現在、来年度より使用される道徳の授業の教科書が展示されているからです。
詳細は島本町のホームページをご参照ください。
(小学校 特別の教科「道徳」の教科用図書展示会)

なんで、教育センターに教科書を見に行かなきゃならないんだよ!
うちには小学生もおらんし、関係ないわ!
というご指摘が聞こえそうですが、いやいや、最後まで読んでください。

まず、みなさんは、小学校の道徳の授業、覚えていらっしゃいますか?
私は正直、覚えてません。
覚えていないというか、中学校のものや、国語でやった内容などが、記憶として混ざってしまっていて、小学校の道徳でこれを習いました!とはっきりと言えないというところです。
教科書を作っている方や先生には申し訳ない気持ちですね、すみません。

ですが、道徳の授業なんて、子育て世代にとっては、そんなものじゃないでしょうか。
「当たり前のことをわざわざ、この時間に読むの?」
「はいはい、いい子モードで書けばいいんですよね」
という気持ちで受けていたような気がします。

まずは、道徳の授業について少し補足を。
戦前は、修身という名前だったそうです。

終戦後、GHQの民主化路線により、極端な国家主義・軍国主義的だった修身は、撤廃されました。
1958(昭和33)年、戦後10年以上を経て、学習指導要領が改訂されました。
公立の小中学校では、それまで、学校教育全体を通じて行われていた道徳教育を補充・深化・統合し、週1時間の道徳の時間が設けられることになりました。
それが、私たちが受けてきた、教科外の特設時間、道徳の時間です。
教科外の時間、つまり、特別活動の一環だったわけです。

ところが、次年度(平成30年度)より、特別の教科 道徳として教科化されることになりました。

きっかけのひとつは、いじめ問題のようです。

それまでにも、道徳の時間でいじめ問題は扱っていましたが、
読み物として、その内容を扱っていたり、「いじめはだめ」と児童に言わせたり書かせたり、いわば形骸化したものになりがちと言われていました。心当たりがあります、私も。

しかし、大津市の中学生がいじめを苦に自殺したことから、いじめの未然防止策の一つとして、安倍総理直属の教育再生実行会議(実行会議)が、道徳を必修教科に、と提言しました。

これを受けて、より、自分自身のこととして、多面的・多角的に「考え議論する道徳」へと転換することが求められてるようになり、道徳の授業の転換が、いじめ問題解決に大いに役に立つであろう、と特別の教科へ格上げされることとなったのです。
道徳の授業でいじめが防げるか、という疑問はありますが、文科省の考えはこのようなものです。

そして、この特別の教科 道徳の目標は
よりよく生きるための基盤となる道徳性を養うため、
道徳的諸価値についての理解を基に、自己を見つめ、物事を多面的・多角的に考え、
自己の生き方についての考えを深める学習を通して、道徳的な判断力、心情、実践意欲と態度を育てる

ということです。
しかも、内容については項目を細かく設定し、学年にあわせて以下の項目を扱うように示されています。
A 主として自分自身に関すること
  善悪の判断、自立、自由と責任 正直、誠実 節度、節制 個性の伸長 希望と勇気 努力と強い意志 真理の探求
B 主として人との関わりに関すること
  親切、思いやり 感謝 礼儀 友情、信頼 相互理解、寛容 
C 主として集団や社会との関わりに関すること
  規則の尊重、公正、公平、社会正義 勤労、公共の精神 家族愛、家庭生活の充実 よりよい学校生活、集団生活の充実 伝統と文化の尊重、国や郷土を愛する態度 国際理解、国際親善
D 主として生命や自然、崇高なものとの関わりに関すること
  生命の尊さ 自然愛護 感動、畏敬の念 よりよく生きる喜び

なんだか、えらく壮大な内容になってきたような気がします。
こういう壮大な項目を含んだ授業にせねばならない、そういう授業の手助けになる教科書でなければならない、ということで、パン屋さんが和菓子屋になったり、アスレチック公園が和楽器店になったりしたらしいです。
いや正直、全く理解できませんが、そういうことのようです。
だいたい、和楽器店なんて、どこの町内にもあるものなの??

私の瑣末な疑問は飲み込み、特別のってなんだよ?と思いませんか??
なんで、わざわざ特別のって、特別扱いしないとだめなわけ?
それは、教科化となると、教科書や、数値による成績評価、教科に対応した教員免許が必要となるからです。
ですが今回、道徳では、数値による成績評価や独自の教員免許は、なじまないとされ、検定教科書だけが用いられることになりました。だから通常の教科とは異なる特別の教科というわけですね。

(他の教科との区別、かつての道徳の時間との比較)
国語など 道徳の時間 特別の教科 道徳
検定教科書の使用 ×
評価
(数値)
×
(記述式)
担当 教科、または、学級担任 学級担任 学級担任

時間数でこそ今まで通りのコマ数ですが、上記のような道徳の授業が来年度より始まるわけですね。

いち保護者の勝手で無知な私見で言えば、小学校の担任の先生が、これ、教えきれるの?という感想です。

我が家は、割とはっきりと、善悪や正義について話す家庭だと思います。
日々のニュースを見て質問されれば、内容を説明して、誰かの正義や善が、全ての人の正義や善でないことを「難しい問題だよね」と話します。
大きな声で挨拶をすることや、自分で決めたことは自分で守る、できない約束はしない、できる限り、なぜなのかという理由をつけて話すようにしています。

ですが、これは我が家のルールというか、親が持っている道徳観であって、子どもの成長によって、子どもの道徳観は変わっていく、成長していくものでしょう。
それぞれの子どもの道徳観を、先生が数値式ではないにしろ、どう評価できるのか。先生の経験値によって、大きく差が出るものではないのかな、と思ってしまいます。
道徳は国語のように答えがある程度決まっているものではありません。多様性を認めながら、先生達はどの部分を良しとし、成長していると認めた上で、どう評価するのだろう?と思います。
そして、その評価に、うちの家庭なりの道徳を教えている私は全て納得できるんだろうか・・・?

毎日の子どもとのかかわりで、算数や社会を教えない日はあっても、道徳に関する部分を言及しない日はないんじゃないか、それくらい、生き方の根っこにあたる価値観の部分が、道徳ではないでしょうか。
そこを、文科省が指導要領に定めた上に、それに見合う授業をするための教科書を国が検定し、子どもが慕う先生たちは、それを使って、目標目指して指導するわけです。

うーん、なんともかんとも・・・。我が家の道徳観を無視してくれるなよ、大丈夫か?
ただでさえ、先生の長時間労働が問題になっているのに、そこも大丈夫なんでしょうか。
道徳教育推進教師を中心に校長や教頭と協力して・・・なんて、先生、大変だなぁ・・・。
私のように、そもそも論としての「道徳の教科化」については、みなさん様々な意見もあるとは思いますが、実際、来年度からは教科扱いされるわけです。スタートはもう、決まっているのですね。

そこで、私がみなさんにお伝えしたいのは

この町で育つ子ども達が教えられる道徳、その教科書なるものを手に取り、意見を言える機会があるのですよ、ということです。教科化、スタートは決まっていても、そこで使われる教科書を選定するのはこれからです。
そして、町民の皆さんにも意見を聞かせてください、とお願いされているのです。

「ったく近頃の若いもんは」といつか口にしてしまうくらいなら、あなたの道徳観を表現できている、と思う授業ができるような教科書を選ぶお手伝いをしていただけませんか。

いろいろな教科書を見れば、それぞれの道徳観をお持ちの大人なら、様々な感情や違和感などを持つことでしょう。それを、そのまま書いてください。もちろん、各学校の先生方も意見します。教育委員会や選定委員の方々もです。
そう考えると、これも子育てに関わることですね。島本町の子供たちを、できるだけたくさんの大人の目で見守り、育てていきたいものです。
和菓子屋だ、パン屋だという部分だけにスポットが当たりがちな、この道徳の教科書問題ですが、そこだけではなく、このスタートの時期に、何年かに一度のこの機会に、ぜひ、実際に手に取って見てください。

教育センターで7月5日まで、ですよ。
そういえば、私、卒業式で仰げば尊しを歌ったことがなく、ドラマなどで見るたび
仰げば~尊し 和菓子の恩~???と思っていたのを思い出しました。
幸い、思っていただけでどういう意味?と口にしたことはありません。
裏付けのない刷り込みって怖いですね・・・(笑)。


2017年7月3日 しまもと町民の会 広報部
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